身を慎み、目をさましていなさい。あながたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めて、歩き回っています。堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。(ペテロの手紙第一5章8節―9節)

1.ローマ人への手紙13章11節―14節
2.コリント人への手紙第一923節―27
3.エペソ人への手紙6610節―17
4.テモテへの手紙第一6章9節―11節

サタン(悪魔)は、ヨブが主をのろうことを願い、ヨブ記1章では略奪隊(シェバ人やカルデヤ人)や自然災害をもってヨブの家族や所有物をすべて失うようにし、2章ではヨブ自身をの裏から頭の頂まで悪性の腫物でおおって苦しめたように、悪魔はさまざまな手段をもって信仰者を攻撃します。ペテロはイエス様のことを「あなたは、生ける神の御子キリストです。」と告白したにもかかわらず、イエス様がご自分の死と復活について打ち明けると「主よ。神の御恵みがありますように。そんなことが、あなたに起こるはずはありません。」と主をいさめたので、主から「下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」と言われてしまったように、世全体を支配しているサタン(悪魔)はキリスト者に触れることができなくても(ヨハネの手紙第一5章18節―19節)、火矢を放ってきますので、神のことを考慮しないと、悪魔に利用されてしまう可能性があるのではないでしょうか。パウロは悪魔が放つ火矢をみな消すことができるのは信仰の大楯であることを語っています(エペソ人への手紙6章16節)。ですから、ペテロも悪魔に勝利するためには身を慎み、目をさまして信仰に堅く立つことを奨励しています(今日の聖句)。自分では耐えられないと思うようなことでも、主は耐えられないほどの試練を与える方ではない(コリント人への手紙第一10章13節)というみことばをしっかり握り、悪魔は主の許しなしには決して攻撃することができないことを、それらの攻撃にもあらゆる恵みに満ちた神ご自身がしばらくの苦しみのあとで私たちを完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者とする目的があることを心に留めて(ペテロの手紙第一5章10節)、ヨブが試練の後「私はあなたのうわさを耳で聞いていました。しかし、今、この目であなたを見ました。(ヨブ記42章5節)」と告白しているように、恐れや試練をもたらす悪魔に目を向けるのではなく、へブル人への手紙12章2節が「信仰の創始者であり完成者であるイエスから目を離さないでいないさい。」と勧めているように、信仰に堅く立つために、恵みとまことに満ちておられるイエス様から目を離さないようにしようではありませんか。