それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。語る人があれば、神のことばにふさわしく語り、奉仕する人があれば、神が豊かに備えてくださる力によって、それにふさわしく奉仕しなさい。それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるためです。栄光と支配が世々限りなくキリストにありますように。アーメン(ペテロの手紙第一4章10節―11節)

1.コリント人への手紙第一318節―45
2.コリント人への手紙第一124節―11
3.エペソ人への手紙37節―11
4.エペソ人への手紙4章1節―15節

パウロは「世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」と勧告していますが、それは、世の人々のようにお互いに比較しあって優越感に浸ってみたり、他者をうらやんで劣等感を持つような生き方をするのではなく、神を心に据えて慎み深い考え方で信仰生活をおくることを願ってのことではないでしょうか。福音書の弟子たちは、この世の人々のように、だれが一番偉いかなどと議論をするような者たちでしたが、聖霊に満たされたペテロは「それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。語る人があれば、神のことばにふさわしく語り、奉仕する人があれば、神が豊かに備えてくださる力によって、それにふさわしく奉仕しなさい。それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるためです。栄光と支配が世々限りなくキリストにありますように。アーメン」と、すべての人に賜物が与えられていることを語っています。「私には賜物がない」と言われる方がおられますが、パウロも「私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので、(ローマ人への手紙12章6節)」と、恵みによって救われたすべてのキリスト者には賜物が与えられていること、賜物は多種であることを語っています。ですから、賜物は比較するものではなく、与えらている賜物は互いに仕え合うためであり、その賜物の働きそのものは神が備えてくださっている力賜物の、すなわち御霊によるものであることを、賜物は恵みによって与えられていることを心に据えて、主が喜ばれるように与えられている賜物を正しく忠実に用いて主に栄光を帰す良い管理者として生るためにキリストが主人であることを忘れずにしようではありませんか。