あなたは、あなたを恐れる者のために旗を授けられました。それは、弓にかえて、これをひらめかせるためです。(詩篇60 篇4節)

1.詩篇201節― 7
2.イザヤ書111節―10
3.イザヤ書6210節―12
4.ヨハネの福音書16章29節ー33節

現在の世界情勢を見ると、イエス様が預言されたように(マタイの福音書24章3節―8節)、世界のいたる所で民族紛争が起こっていますし、軍事力によって国の力が誇示されるような時代になり、驚くべきことに、今はアメリカの軍事力より中国の軍事力の方がはるかに勝っているそうです。しかし、詩篇20篇5節―7節は「私たちは、あなたの勝利を喜び歌いましょう。私たちの神の御名により旗を高く掲げましょう。主があなたの願いのすべてを遂げさせてくださいますように。今こそ、私は知る。主は、油そそがれた者を、お救いになる。主は、右の手の救いの力をもって聖なる天から、お答えになる。ある者はいくさ車を誇り、ある者は馬を誇る。しかし、私たちは私たちの神、主の御名を誇ろう。」と、軍事力では勝利できないことがあること語っています。今日の聖句は「あなたは、あなたを恐れる者のために旗を授けられました。それは、弓にかえて、これをひらめかせるためです。」と、「弓」すなわち軍事力ではなく、主が与えてくださる旗があることを語っています。世界中の国々は旗をもっていますので、旗を見ればどの国なのかわかりますし、戦国時代など、旗によって敵か味方かわかるように、旗は非常に大切なものです。ところで、イザヤ書11章10節は「その日、エッサイの根は、国々の民の旗として立ち、国々は彼を求め、彼のいこう所は栄光に輝く」と、神が与えてくださる旗はイエス様であることを語っていますし、雅歌2章4節は「あの方は私を酒宴の席に伴われました。私の上に翻るあの方の旗じるしは愛でした。」と語っているように、ソロモンをイエス様、ソロモンの花嫁シュラムの女をキリスト者とするなら、その意味が十字架によって示された神の愛であることがわかります。キリスト者が掲げる旗は、国、民族、能力に関係なくイエス様ご自身であり、その旗が意味するところは勝利であることを心に据えて、どんな時にも御国の民とされていることを自覚し、世に勝利されたイエス様を掲げ、お互いに励ましあおうではありませんか。