ほむべきかな。神、主、イスラエルの神。ただ、主ひとり、奇しいわざを行う。(詩篇7218節)

1.出エジプト記1415節―31
2.イザヤ書443節―13
3. ヨハネの福音書3章1節ー17節
4.ペテロの手紙第一1章3節ー12節

イスラエルの民は、主が紅海を二つに分けて民が対岸に渡り終えると海水をもとに戻されたので、エジプト軍は一人残らず溺死したのを見て主を誉めたたえたのですが、モーセが山から降りて来るのに手間取っているのを見た民がアロンに「さあ、私たちに先立って行く神を造ってください。」と、言うと、アロンは民が身につけていた金のイヤリングで金の子牛を造り、それを神とするような愚かなことをしたのでした(出エジプト記32章1節―4節)。モーセは民に約束の地で豊かになっても彼らの神、主を忘れないように警告しましたが、アハズ王はツロとシドンの祭司であったエテバアルの娘イザベルを妻に迎え、バアルのために祭壇を築いたり、アシュラ像を造るようなことをしたのでした。そのような状況下、エリヤがイスラエルの民に「あなたがたは、いつまでどっちつかずによろめいているのか。もし、主が神であれば、それに従い、もし、バアルが神であれば、それに従え。」と言ったのですが、民が一言も答えなかったので、エリヤは一頭はバアルの預言者たちのために、もう一頭はエリヤのために二頭の雄牛を用意し、それを切り裂いておのおのたきぎの上に載せて、火をつけないでおくように言うとともに「あなたがたは自分たちの神の名を呼べ。私は主の名を呼ぼう。そのとき、火をもって答える神、その方が神である。」と提案したので、民はその提案に同意したのでした。バアルの預言者が「バアルよ。私たちに答えてください。」と言っても、祭壇のあたりを踊り回っても、彼らのならわしに従って剣や槍で血を流すまで自分たちの身を傷つけても何も起こらなかったのですが、エリヤが「あなたのみことばによって私がこれらのすべての事を行ったということが、きょう、明らかになりますように。私に答えてください。主よ。私に答えてください。この民が、あなたこそ、主よ、神であり、あなたが彼らの心を翻してくださることを知るようにしてください。」と申し上げると、主の火が降って来て全焼のいけにえと、たきぎと、石と、ちりとを焼き尽くし、みぞの水もなめ尽くしてしまったので、民はみな、ひれ伏して「主こそ神です。主こそ神です。」と神に立ち返ったのでした(列王記第一18章21節ー29節)。今日の聖句が「ほむべきかな。神、主、イスラエルの神。ただ、主ひとり、奇しいわざを行う。」と語っているように、イスラエルの神である主を、罪や死から解放してくださっただけでなく永遠のいのちを与えてくださるイエス様を信じることができるように奇しいわざを行ってくださったことを感謝するとともに、主をほめたたえようではありませんか。