私たちは、真理に逆らっては何をすることもできず、真理のためなら、何でもできるのです。(コリント人への手紙第二13章8節)

1.ヨハネの福音書15章4節―5
2.使徒の働き1章4節ー8節
3.ガラテヤ人への手紙516節―17
4.ピリピ人への手紙412節―13

イエス様は「わたしには、あなたがたに話すことがまだたくさんありますが、今あなたがたにはそれに耐えられる力がありません。しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。(ヨハネの福音書16章12節―13節)」と、真理に導かれるためには御霊が必要であることを語るとともに、昇天される前、弟子たちに「さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい(ルカの福音書24章49節)。聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。(使徒の働き1章8節)」と、御霊によって力が与えられることを話されましたが、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。(ヨハネの福音書14章6節)」とご自身が真理であり、「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。(ヨハネの福音書15章5節)」と、イエス様との関係がないなら何もできないことを話されました。「真理」はイエス様ご自身であり、御霊であり、イエス様が「真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことば真理です。(ヨハネの福音書17章17節)」と仰せられたことから、みことばであることがわかりますが、聖書は神の霊感によるもの、すなわち聖霊の働きによるものであることがわかります。パウロは「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなこともできるのです。(ピリピ人への4章13節)」と大胆に発言していますが、その秘訣は今日の聖句「私たちは、真理に逆らっては何をすることもできず、真理のためなら、何でもできるのです。」にあるのではないでしょうか。真理であるキリストに根ざし(コロサイ人への手紙2章7節)、神の御霊を悲しませたり(エペソ人への手紙4章30節)、消したりしないために(テサロニケへの手紙第一5章19節)、みことばに生きることができるように助け主である聖霊様に導いていただこうではありませんか(ヨハネの福音書14章26 節)。