主は私の力、私の盾。私の心は主に拠り頼み、私は助けられた。それゆえ私の心はこおどりして喜び、私は歌をもって、主に感謝しよう。(詩篇28篇7節)

1.詩篇373節―37
2.詩篇100篇1節ー5節
3.コリント人への手紙第一118節―25
4.エペソ人への手紙610節―16

イスラエルの民は約束の地を目指して旅する途上で主が建てられた器モーセのもとで紅海を渡り、神の力がどれほどのものであるのかを体験したにもかかわらず、自分たちの考えや欲望に支配されると、主に拠り頼むよりも、約束の地への途上、荒野を旅したとき、自分たちがどれほど苦しかったかを忘れ、何度もエジプトを懐かしむようなことを言い、主に拠り頼んだヨシュアとカレブを石で打ち殺そうと言い出したので、主がモーセに「この民はいつまでわたしを侮るのか。わたしがこの民の間で行ったすべてのしるしにもかかわらず、いつまでわたしを信じないのか。わたしは疫病で彼らを打って滅ぼしてしまい、あなたを彼らよりも大いなる強い国民にしよう。」と告げると、モーセは恵みをもって民の罪を赦してくださるようにとりなされたので、疫病で打つことはされずに主はカレブとヨシュア以外の二十歳以上の者は彼らが願ったように荒野で倒れて死ぬ、と仰せられたのですが、その間も彼らの必要を満たされたのでした。モーセの従者であったヨシュアはヨルダン川を渡る時にも、城壁に囲まれた堅固な町エリコを陥落するときも主に拠り頼み、主のことばを信じて行動したことによって陥落することができたのでした。箴言16章20節は「みことばに心を留める者は幸いを見つける。主に拠り頼む者は幸いである。」と語っています。今日の聖句が「主は私の力、私の盾。私の心は主に拠り頼み、私は助けられた。それゆえ私の心はこおどりして喜び、私は歌をもって、主に感謝しよう。」と語っているように、自分の考えや肉の思いから救われるために、日常生活において経験する試練や苦悩、恐れや思い煩いから助けられるために、主がどのような方であることを心に据えて主に拠り頼むとともに、主に感謝と賛美をささげようではありませんか。