エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。その上に、主の霊がとどまる。それは知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である。(イザヤ書11章1節―2節)

1.マタイの福音書313節―411
2.ヨハネの福音書14章16節ー26節
3.エペソ人への手紙114節―19
4.ペテロの手紙 第一412節―14

イエス様は「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は、どんなときにも、決して渇くことがありません。」と、ご自身をパンにたとえられ、イエス様は飢え渇きのない人生を与えてくださることを話されてから、「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物だからです。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしも彼のうちにとどまります。生ける父がわたしを遣わし、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者も、わたしによって生きるのです。これは天から下ってきたパンです。あなたがたの父祖たちが食べて死んだようなものではありません。このパンを食べる者は永遠に生きます。」と話されると、ユダヤ人たちも多くの弟子たちは、その真意を尋ねるよりも議論をしたり、つぶやいたりしたので、イエス様は「このことであなたがたはつまずくのか。それでは、もし人の子がもといた所に上るのを見たら、どうなるのか。いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしが話したことばは、霊であり、またいのちです。」と、話されました。イエス様は、はっきり「わたしに来る人、わたしを信じる者」と仰せられ、イエス様ご自身のからだや血を飲むことを言われたのではないのですが、彼らは肉の思いで解釈したのでした。今日の聖句「エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。その上に、主の霊がとどまる。それは知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である。」は、イエス様について、主の霊、すなわち聖霊の働きについて語っています。パウロは「私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。」と、すでに聖霊が与えられているエペソの教会の聖徒たちのために祈られましたが、それは神が、日々神を深く知ることができるように、すべてを教えてくださる聖霊の力に満たしてくださることを願ってのものではないでしょうか。パウロは聖霊を悲しませてはいけません(エペソ人への手紙4章30節)、御霊を消してはいけません(テサロニケへの手紙第一5章19節)と勧めています。聖霊の宮であることを忘れずに神の栄光を現すために(コリンと人への手紙第一 6章19節ー20節)、栄光の父なる神様がすべてを教えてくださる御霊で満たしてくださるように祈ろうではありませんか。