あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。(ヤコブの手紙1章5節)

1.箴言21節―10
2.ローマ人への手紙33節―36
3.コリント人への手紙第一118節―25
4.ヤコブの手紙3章13節―17節

主から知恵と判断する心を与えられたソロモンは(列王記第一3章3節―12節)、日の下、すなわち創造者なる神を考慮に入れないこの世のあらゆる分野を探索する中で、知恵は、愚かさよりも(伝道者の書2章13節)、武器よりもまさっており(伝道者の書9 章19節)、人を成功させるのに益になる(伝道者の書10章10節)と言いながら、「実に、知恵が多くなれば悩みも多くなり、知識を増す者は悲しみを増す(伝道者の書1章18節)」と、この世の知恵は心を満たすことができないことを語っています(伝道者の書1章18節)。ヤコブは知恵には地に属し、肉に属し、悪霊に属するものと、上からの知恵、すなわち神から与えられる知恵の二種類があることを語っています(ヤコブの手紙3章14節―17節)。パウロは「ユダヤ人であってもギリシャ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。(コリント人への手紙第一1章24節)」と語っていますから、すべてのキリスト者には神の知恵が与えられているのですが、今日の聖句は「あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。」と語っています。今日の前句に「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。」と勧めていますが、そのために必要なのは試練に対処する知恵であり、そのような知恵はこの世や人の知恵ではなく神の知恵が必要なためのではないでしょうか。ヨシュア記は「勝利の書」とも言われますが、自分たちの考えで行動した時、アイでの敗北やギブオンの計略を見抜けずにだまされるようなことを経験しましたが、神から教えられたように、すなわち神の知恵で行動した時、驚くべき奇蹟や勝利を体験したのでした。ですから、ヤコブはこの世や人の知恵にまさる神の知恵を求めるように勧めているのではないでしょうか。試練や問題に直面したとき、どうすればよいのか悩むのではなく、適切に対処することができるように、主が御霊によって(ヨハネの福音書16章13節―14節)、神の知恵である恵みのみことばを与えてくださるように祈ろうではありませんか。