あなたがたは、死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。(ペテロの手紙第一1章21節)

1.ルカの福音書2220節―32
2.使徒の働き31節―16
3.コリント人への手紙第一1章18節―25
4.コリント人への手紙第一21節―5

電車に乗る時、その電車を運転している人が大丈夫なのかどうか確かめてから乗るようなことはせずに乗車するように、何事をするにもその根底には信じる力が働いているのではないでしょうか。しかし、不安や恐れが襲ってくると、想像力を働かせて信じる力が最悪の状態に向かって働き元気を失ったり、精神的なダメージを受けてしまうのではないでしょうか。そのような状態から解放されるための一般的な方法はこの世や人の知恵によるものなのではないでしょうか。信じる力を自分や人の知恵に向けるのか、神の知恵であるみことばに向けるのかによってその生き方は大きな違いをもたらすのではないでしょうか。今日の聖句「あなたがたは、死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。」は、イエス様が「あなたの信仰がなくならないようにあなたのために祈りました。」と言われたにもかかわらず、「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」と、自分を信じてイエス様に告白しましたが、イエス様が預言されたようにイエス様を知らないと三度否定してから主のことばを思い出して外に出て激しく泣いたペテロのことばです。よくスポーツ選手が「自分を信じる」というようなことを言われますが、成功した時には喜んで「自分を信じて良かった」と言うことができるでしょうが、期待していたような結果が出ないと自分に失望してしまうのではないでしょうか。ヘブル人への手紙12章2節−3節は「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでください。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の右の座に着座されました。あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。」と励ましてくださっています。私たちの信じる力を信仰がなくならないようにとりなしていてくださっているだけでなく、死からよみがえられて永遠のいのちを明らかにされ、生ける希望を与えてくださった主に向けるとともに、主はどんな時にもいつも私たちを背負っていてくださることを忘れずに生きようではありませんか(イザヤ書46章3節―4節)。