そして、私に仰せられた。「あなたはわたしのしもべ、イスラエル。わたしはあなたのうちに、わたしの栄光を現す。」(イザヤ書49章3節 )

1.イザヤ書431節―7
2.コリント人への手紙第一619節―20
3.コリント人への手紙第二317節―18
4.ペテロの手紙第一5章7節ー10節

イエス様は「わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではありません。真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。あなたがわたしを遣わされたように、わたしも彼らを世に遣わしました。わたしは、彼らのため、わたし自身を聖め別ちます。彼ら自身も真理によって聖め別たれるためです。わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにもお願いします。それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。(ヨハネの福音書17章16節―22節)」と、イエス人様は弟子たちだけでなく、すべてのキリスト者に神の栄光を与えてくださることと、その理由としてキリスト者が一つとなるためであることを語っています。一方、「日の下」という表現をもって、神を認めないこの世を表現されたソロモンは、「私はまた、あらゆる労苦とあらゆる仕事の成功を見た。それは人間同士のねたみにすぎない。これもまた、むなしく、風を追うようなものだ。(伝道者の書4章4節)」と、パウロが「私はしばしばあなたがたに言って来たし、今も涙をもって言うのですが、多くの人々がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。彼らの最後は滅びです。彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なのです。彼らの思いは地上のことだけです。(ピリピ人への手紙3章17節―19節)」と語っているように、勝利者のみが栄光を得るような状況があるために、この世の栄光を求める人々はお互いの力を認めながらも他者をライバル視して競い合いようなことをしておられるのではないでしょうか。この世が与えることのできる栄光は、イエス様によって与えられる栄光と全く異なったものであることがわかります。今日の聖句「あなたはわたしのしもべ、イスラエル。わたしはあなたのうちに、わたしの栄光を現す。」は、主のことばです。イエス様を信じることによってイスラエルの民と同じように神の民とされているすべてのキリスト者に主ご自身が栄光をあらわしてくださることを心に留め、他者と比較するようなことをせず、聖別された者、主の栄光を現す者として生きるために、今知っている恵のみことばで生きるようにしようではありませんか(ピリピ人への手紙2章14節―16節)。