ああ、神、主よ。まことに、あなたは大きな力と、伸ばした御腕とをもって天と地を造られました。あなたには何一つできないことはありません。(エレミヤ書32章17節)

1.マタイの福音書1916節―26
2.ルカの福音書126節―37
3.ローマ人への手紙11章25節―36節

ヤコブは「あなたがたは、神はおひとりだと信じています。りっぱなことです。ですが、悪霊どももそう信じて、身震いしています。(ヤコブの手紙2章19節)」と語っています。「悪霊ども」とは、神に仕える被造物の存在であったにもかかわらず、「いと高き方のようになろう。」と自分の立場をわきまえずに高ぶったために天から落とされたサタンとも呼ばれる悪魔とともに天から落ちた1/3の堕落した御使たちであり、彼らは私たちに人間と違って、ヨブ記38章1節―7節が「主はあらしの中からヨブに答えて仰せられた。知識もなく言い分を述べて、摂理を暗くするこの者はだれか。さあ、あなた勇士のように腰に帯を締めよ。わたしはあなたに尋ねる。わたしに示せ。わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。あなたは悟ることができるなら、告げてみよ。あなたは知っているか。だれがその大きさを定め、だれが測りなわをその上に張ったかを。その台座は何の上にはめ込まれたか。その隅の石はだれが据えたか。そのとき、明けの星々が共に喜び歌い、神の子たちはみな喜び叫んだ。」と語っているように、天と地、天体や自然界、人を含め地上に存在するすべての被造物を神が創造されたのを見ており、神の力がどのようなものであるかを見て知っていたために身震いしているのではないでしょうか。人は人が必要とする環境などすべてが整えられたあと最後の被造物として創造されたために、元は神に仕えていた御使であった悪魔や悪霊のようにその工程と神の力を実際に見ていないので、この世や人の知恵の方に心が傾いてしまい、神を神の力を過小評価してしまうようなことがあるのではないでしょうか。今日の聖句「ああ、神、主よ。まことに、あなたは大きな力と、伸ばした御腕とをもって天と地を造られました。あなたには何一つできないことはありません。」は、エレミヤが主に祈ったときの冒頭のことばです。祈る時、私たちの神がどのような方であるかをまず考えてから祈ろうではありませんか。