私たちは、この地上に永遠の都を持っているのではなく、むしろ後に来ようとしている都を求めているのです。ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。(ヘブル人への手紙13章14節―15節)

1.ルカの福音書2432節―53
2.使徒の働き229節―47
3.使徒の働き3章1節―9節

イスラエルの民はエジプトの地で多くの奇蹟を体験しただけでなく、彼らを追って来たエジプト軍を紅海を二つに分けられ民が対岸に渡り終えると元に戻されて一人残らず溺死させられた時には主の御力を見て民はモーセとともに主を賛美したにたにもかかわらず(出エジプト記14章11節―5章18節)、欲にかられると何度もエジプトを懐かしみ、エジプトで死んでいた方が良かったなどと不平不満をもらすようなことをしたのですが、ダビデは「私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある。私のたましいは主を誇る。貧しい者はそれを聞いて喜ぶ。私とともに主をほめよ。共に、御名をあがめよう。私が主を求めると、主は答えてくださった。私をすべての恐怖から救い出してくださった。(詩篇34篇1節―4節)」と勧めていますが、その鍵は主がどのような方であるかを知ったことによるのではないでしょうか。今日の聖句が「私たちは、この地上に永遠の都を持っているのではなく、むしろ後に来ようとしている都を求めているのです。ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。」と勧めているように、私たちはキリストによってこの世に遣わされていることを、どんな状況にあっても主がいつもともにおられ、ご計画にそって私たちを導き、信仰を完成させてくださる主が平安な義の実を結ぶため訓練されることを認めて(ヘブル人への手紙12章2節−11節)、ダビデが勧めているようにあらゆる時に、いつも主をほめたたえることができるように、主の十字架をわすれないようにしようではありませんか。