もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。(コリント人への手紙第一15章17節)

1.ローマ人への手紙617節―23
2.エペソ人への手紙2章1節−9節
3.ペテロの手紙 第一1章3節ー4節
4.ヨハネの手紙 第一5章5節ー13節

パリサイ人としてキリストを信じる信仰による義を知らずに、律法による自分の義に生きていた時のパウロはナザレ人イエスの名に強硬に敵対すべきだと考えて、イスラエルの歴史を語り、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエス様を見て「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」と言ったステパノを石で打ち殺すことに賛成するなど、キリスト者を迫害していたのですが、キリスト者となったパウロは「私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、また、ケパに現れ、それから十二弟子に現れたことです。(コリント人への手紙第一15章3節―5節)」と、「もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。」と、復活がどれほどの意味を持つのか語っています。なぜなら、罪から来る報酬は死であるためであるために、罪が赦され、罪から解放されている保証は死に勝利する、すなわち死からのよみがえりしかないからです。パウロは「ケパ」すなわちペテロの名をあげられました。福音書のペテロは三度イエス様を否定しましたが、死からよみがえられたイエス様にお会いして生ける望みを持つようになったことと聖霊に満たされたことによって人を恐れずに大胆に福音を語る者となり、殉教の死をもって神の栄光を現されたのでした。キリスト者は死をもたらす罪から完全に救われていることを(ヘブル人への手紙10章14節ー18節)、永遠のいのちが与えられていることを感謝するとともに、主が福音宣教の働きを祝してくだり、医学では解決できない死の解決、永遠のいのちを与えてくださったイエス様をひとりでも多くの方が知ることができますように祈ろうではありませんか。