「彼が私にしたように、私も彼にしよう。私は彼の行いに応じて、仕返しをしよう」と言ってはならない。(箴言24章29節)

1.箴言20章22節
2.詩篇371節―9
3.マタイの福音書538節―42
4.ローマ人への手紙1217節―21

主がアベルとアベルのささげ物とに目を留められましたが,自分と自分のささげ物に主が目を留められなかったので、ひどく怒り顔を伏せていたカインに「なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ顔を伏せているのか。あなたが正しく行ったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行っていないのなら、罪はt戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。」と仰せられましたが、彼は弟のアベルを殺害してしまい、「私の咎は、大きすぎてにないきれません。ああ、あなたはきょう私をこの土地から追い出されたので、私はあなたの御顔から隠れ、地上をさまよい歩くさすらい人とならなければなりません。それで、私に出会う者はだれでも、私を殺すでしょう。」と主に申し上げたのですが、主は「それだから、だれでもカインを殺す者は、七倍の復讐を受ける。」と仰せられ、彼に出会う者がだれも彼を殺すことがないように、カインに一つのしるしを与えられ、人が仕返しをしないようにされたのでした。カインはがアベルに殺意を持った原因は憤りであり、サウル王がダビデに殺意を抱いた原因はねたみでしたが、それらのものはすべて肉による行いである事をガラテヤ人への手紙5章19節―21節は語っています。キリスト者となったパウロは「私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています。もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行っているのは、もはや私ではなく、私のうちに住む罪です。(ローマ人への手紙7章18節―20節)」と心の葛藤を語っていますが、それはすべての人が持っている悩みではないでしょうか。今日の聖句「『彼が私にしたように、私も彼にしよう。私は彼の行いに応じて、仕返しをしよう』と言ってはならない。」をしっかり握り、人を欺く情欲によって滅び行く古い人を脱ぎ捨てるために、肉の思い、肉の行いに走らないように、心のうちにある思いをすべて正直に主に申し上げて明け渡すとともに、罪から贖われていることを、そのために支払われた主の犠牲を心に留めて、主に感謝をささげようではありませんか。