悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。(マタイの福音書5章4節)
1.詩篇126篇1節―6節
2.イザヤ書35章8節ー10節
3.イザヤ書51章9節ー12節
4.コリント人への手紙第二7章5節ー10節
今日の聖句は「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。」と語っていますが、パウロは「神のみこころにかなった悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。(コリント人への手紙 第二7章10節)」と、二種類の悲しみがあることと、その悲しみがもたらす結果をも語っています。詩篇126篇5節―6節は「主がシオンの繁栄を元どおりにされたとき、私たちは夢を見ている者のようであった。そのとき、私たちの口は笑いで満たされ、私たちの舌は喜びの叫びで満たされた。そのとき、国々の間で、人々は言った。『主は彼らのために大いなることをなされた。』主は私たちのために大いなることをなされ、私たちは喜んだ。主よ。ネゲブの流れのように、私たちの繁栄を元どおりにしてください。涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。」と、悲しみが喜びに変えられることを、その鍵は主のお働きにあることを語っています。バビロンの捕囚から解放されシオン、すなわちエルサレムに帰還した人々にとって、それは夢のような出来事であったことを、しかもそれは主の働きであったことを認識して喜びに満たされただけでなく、ネゲブは、雨季の時以外は水のない川ですが、雨が降ると川の周りは草木が生き生きとして緑で覆われるように主が繁栄を与えてくださるように祈っています。エルサレムが悲惨な状態にあることを知らされたネヘミヤは、すわって泣き、数日の間、喪に服し、断食して主の前に祈り、城壁再建の働きをするためにエルサレムへ行く許可をペルシャのアルタシャスタ王からいただき、エルサレムの城壁再建とイスラエルの民の信仰の回復を成し遂げたのですが、アルタシャスタ王から許可を得られたのは「主の恵みの御手が私の上にあったので(ネヘミヤ記2章8節)」と語っています。捕囚から帰還した民は荒れた地に涙を流しながら種を蒔いたでしょうが収穫を得るときには喜びに満たされたのでしょう。家族や人々の救いのために祈り、種、すなわち、みことばやイエス様を紹介しても拒絶され涙するようなことがありますが、神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられるのですから(テモテへの手紙第一2章4節)、それらの願いは主のみこころにかなう願いであることを心に据え、涙の祈りは喜びに変えられる時を主が備えてくださっているという信仰をもって、人々の救いだけでなく、主が世界中の放蕩息子や放蕩娘の信仰を回復してくださるように祈り続けようではありませんか。