いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとりの神が、神を解き明かされたのである。(ヨハネの福音書1章18節)

1.ヨハネの福音書146節―11
2.コロサイ人への手紙1 章13節ー15節
3.ヨハネの手紙 第一41節―9

何かあると「神」と言うことばを話すように、多くの人々は神の存在を認めてはいますが、創造者なる神よりも人々は思い思いに、主が創造されたさまざまな被造物や人の手によって造られた偉人やさまざまな像を神として拝むことが敬虔なことと思っているのではないでしょうか。その原因の一つに今日の聖句が「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとりの神が、神を解き明かされたのである。」と語っているように、だれも神を見たことがなかったことにあるのではないでしょうか。神は永遠の死から人類を救うために御子イエス様を人としてこの世にお遣わしになり、神がどのような方であるかをはっきりと示されたのですが、人の知恵は、仏教の祖である釈迦やイスラム教の祖であるムハマッドとイエス様を同等においてしまっているのではないでしょうか。さまざまな宗教は、一時的な気休めや満足感を与えることができても、すべては自分の努力や考え方にかかってくるものであり、神がどのような方であるかを知ることはできないのではないでしょうか。人にとって一番大切なのは創造者なる神がどのような方であるかを知ることにあるのではないでしょうか(エレミヤ書9章23節―24節)。イエス様は「わたしを見た者は、父を見たのです。(ヨハネの福音書14章9節)」と仰せられました。イエス様は人類の救い主であり神であるイエス様を十字架にかけている人々のために「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。(ルカの福音書23章34節)」と、とりなして祈られました。神は愛(ヨハネの手紙第一4章8節)であることを知ることができるようにしてくださった主に感謝をささげるとともに、クリスマスのこの時期、神であるイエス様が人としてこの世に御降誕されたのは神がどのような方であるかを解き明かすためであったことを、神がどのような方であるかを人々が知ることができますように祈りましょう。