人の心には多くの計画がある、しかし主のはかりごとだけが成る(箴言19章21節)
1.伝道者の書3章11節
2.イザヤ書9章6節−7節
3.イザヤ書14章24節―27節
4.イザヤ書55章6節―11節
アダムは神から善悪の知識の木からとって食べるとき必ず死ぬ、という警告を受けていたにもかかわらず(創世記2章16節―17節)、神の警告を直接聞いていなかったエバは「あなたがたは決して死にません。あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」という悪魔の偽りのことばを信じ、エバが食べてしまっただけでなくアダムも食べてしまい、神が仰せられたように人類に死が臨むことになったのですが、神は悪魔に対して「わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく」と預言されたように、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を死から解放するために、悪魔と悪魔のしわざを打ちこわすために、神は御子イエス様を人としてこの世にお遣わしになったのでした(ヘブル人への手紙2章14節―15節、ヨハネの手紙 第一3章8節)。今日の聖句が「人の心には多くの計画がある、しかし主のはかりごとだけが成る」と語っているように、神にとって不可能な事はないので人の計画と異なって主のご計画、神のことばである聖書のみことばは必ず成就することを、パウロと同じように、神のご計画に従って召されているすべてのキリスト者のためには神がすべてのことを働かせて益としてくだることを(ローマ人への手紙8章28節)、ペテロが「主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。(ペテロの手紙 第二3章8節)」と語っているように、私たちの考えている時と主の時には違いがあることをも心に据えて、心にある計画を主にお委ねし、主のみこころにそった計画ならば主が成就してくださることを感謝し(ピリピ人への手紙2章13節)、主を信頼して生活しようではありませんか。