あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます。(ローマ人への手紙8章15節)

1.歴代誌 第二2012節―24
2.ヨハネの福音書1426節―27
3.エペソ人への手紙610節―20
4.ヨハネの手紙 第一223節―28

モーセが「あなたがたは、私たちの神、主が私たちに与えようとされるエモリ人の山地に来た。見よ。あなたの神、主は、この地をあなたの手に渡されている。上れ。占領せよ。あなたの父祖の神、主があなたに告げられたとおりに。恐れてはならない。おののいてはならない。」と言ったにもかかわらず、民の「私たちより先に人を遣わし、私たちのために、その地を探らせよう。私たちの上に上って行く道や、入って行く町々について、報告を持ち帰らせよう。」という意見に同意したので(申命記1章20節―23節)、神はモーセに各部族の族長12人を遣わすように命じたのでした(民数記13章1節)。その結果、12人のうち、神を信頼していたカレブとヨシュア以外の者はモーセには「まことに乳と蜜が流れています。」と言ったにもかかわらず、民には「私たちが行き巡って探った地は、その住民を食い尽くす地だ。そこで、私たちはネフィリム人、ネフィリム人のアナク人を見た。私たちは自分がいなごのように見えたし、彼らにもそう見えたことだろう。」と悪く言いふらしたので、民は数々の奇蹟を体験し、神が、神の力がどのような方であるかを体験していたにもかかわらず「私たちはエジプトの地で死んでいたらよかったのに。できれば、この荒野で死んだほうがましだ。」などとつぶやいたので、主は彼らが願ったようにヨシュアとカレブ以外の二十歳以上の者は荒野で亡くなるようにされたのでした(民数記13章32節-14章29節)。今日の聖句が「あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、『アバ、父』と呼びます。」と語っているように、「恐れ」は人々の心を支配し、神と神の力を忘れさせてしまうのではないでしょうか。ヨシャパテは大軍が攻めてくるのを聞き、主に「私たちに立ち向かって来たこのおびただしい大軍に当たる力は、私たちにはありません。私たちとしては、どうすればよいのかわかりません。ただ、あなたに私たちの目を注ぐのみです(歴代誌 第二20章12節)」と主に申し上げ、主をほめたたえると、主は伏兵を設け、残党は同士討ちをするようにして勝利を与えられたのでした。今のこの時、ヨシャパテのように「アバ、父」と、主を見上げて、主が栄光を現してコロナを収束させてくださるように、人々が主を求めるように祈り続けようではありませんか。