主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。(詩篇37篇4節)

1.使徒の働き418節―31
2.ピリピ人への手紙4章3節―7
3.ヨハネの手紙 第一5章14節―15節

不思議なことに人は親から教えられなくてももの心がつく頃にはさまざまなことを願い始めますし、それはこの世を去るまで心の中にさまざまな願い事を抱えながら、時にはその願いがかなうように神仏に手を合わせて祈るようなことをして生きているのではないでしょうか。確かに、神仏に祈ると一時的な安堵感を与えることができても、祈りがきかれるかどうかという保証もなく、結局、自分次第になってしまうのではないでしょうか。イエス様は「あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。(ヨハネの福音書16章24節)」と、イエス様の名前で求めるならば、求めたものが与えられるだけでなく喜びが増すことを約束されました。一方、神は私たちの思いをご存知なので、ヤコブの手紙4章3節が「願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです。」と語っているように願いがかなえられないことがありますが、それは欲がもたらす罪から守るための神の守りでもあるのではないでしょうか。今日の聖句が「主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。」と語っているように、まず主を喜びとするならば、ピリピ人への手紙2章13節が「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。」と、語っているように、願うことや祈ることが神のみこころにかなうものとなるのではないでしょうか。主がどのような方であるかをよく考え、主を喜ぶ信仰生活をおくろうではありませんか。