わたしのものはみなあなたのもの、あなたのものはわたしのものです。そして、わたしは彼らによって栄光を受けました。(ヨハネの福音書17章10節)

1.イザヤ書431節―7
2.ヨハネの福音書1612節―14
3.コリント人への手紙 第一619節―20
4.ペテロの手紙 第一412節―14

この世の人々は神の栄光を知らずに、この世にあるものによって自分の栄光を現そうと、競い合っているのではないでしょうか。ところで、ピリピ人への手紙3章19節が「彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なのです。彼らの思いは地上のことだけです。」と、この世が与える栄光は神の前において恥となることを語っています。一方ペテロの手紙 第一5章10節は「あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。」とキリスト者には永遠の栄光が与えられていることを語っていますが、イエス様が「御霊はわたしの栄光を現します。わたしのものを受けて、あなたがたに知らせるからです。(ヨハネの福音書16章14節)」と仰せられたように、その栄光は御霊の働きによって現されるものであることがわかります。パウロは「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。(エペソ人への手紙2章8節−9節)誇る者は、主を誇りなさい。(コリント人への手紙第二10章17節)」と勧めているように、主に栄光を帰す生き方をされたのでした。今日の聖句「わたしのものはみなあなたのもの、あなたのものはわたしのものです。そして、わたしは彼らによって栄光を受けました。」を、主がどのように栄光を現されたかを思い起こし(ピリピ人への手紙2章6節ー11節)、御霊によって書かれているいのちのみことばをしっかり握って、主の栄光を反映するような、主が栄光を受けられるような生き方をしようではありませんか。