主は全き人の日々を知っておられ、彼らのゆずりは永遠に残る。(詩篇37篇18節)

1.詩篇1391節―6
2.エペソ人への手紙13節―14
3.ヘブル人への手紙104節―23
4.ペテロの手紙 第一1章3節ー4節

ヘブル人への手紙10 章10節及び14節が「このみこころに従って、イエス・キリストのからだが、ただ一度だけささげられたことにより、私たちは聖なるものとされているのです。・・・キリストは聖なるものとされる人々を、一つのささげ物によって永遠に全うされたのです。」と語っているように、全き人になる第一歩はキリストを信じることによるものであり、創世記17章1節は「アブラハムが九十九歳になったとき主はアブラムに現れ、こう仰せられた。『わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。』」と、全き者は主の御前に歩む、すなわち日々主とともに歩む者であることを意語っています。パウロは「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のために自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。私は神の恵みを無にはしません。もし義が律法によって得られるとしたら、それこそキリストの死は無意味です。(ガラテヤ人への手紙2章20節―21節)」と、キリストにあって全き者とされているキリスト者が生きるべき道を語っています。今日の聖句「主は全き人の日々を知っておられ、彼らのゆずりは永遠に残る。」を心に据えて、主の恵みをむだに受けないように(コリンと人への手紙第二6章1 節)、国籍が天にあることを、永遠のいのちが与えられていることを感謝し、私たちの抱えている問題、恐れている事や苦悩を、いつどんなことが起こるかもすべてご存知で、毎日私たちを背負っていてくださるだけでなく(イザヤ書46章3節―4節)、どのようなことも益とししてくださり信仰がなくならないようにとりなしていてくださる主を信頼して生活しようではありませんか。