義を知る者、心にわたしのおしえを持つ民よ。わたしに聞け。人のそしりを恐れるな。彼らのののしりにくじけるな。(イザヤ書51章7節)

1.箴言2925節―26
2.コリント人への手紙第一318節―45
3.コリント人への手紙第二6章1節ー10節
4.ヤコブの手紙1章12節―22節

パウロは律法による自分の義に生きていたときには、自分の考えでイエスの名に強硬に敵対すべきと考えて多くの聖徒たちを牢に入れたり、聖徒たちが殺されるときには賛成の票を投じたり、自ら聖徒たちを罰して強いて御名を汚すようなことばを言わせようとしたりするなどキリスト者を迫害していたのですが、ダマスコの途上でキリストの証人として生きるようにイエス様から声をかけられキリスト者となり(使徒の働き26章9節―20節)、キリストを信じる信仰に基づいて神から与えらる義を知ったパウロは(ピリピ人への手紙3章9節)、同胞のユダヤ人や人々からほめられても、そしられても、悪評を受けても、好評を博しても、今日の聖句が「義を知る者、心にわたしのおしえを持つ民よ。わたしに聞け。人のそしりを恐れるな。彼らのののしりにくじけるな。」と勧めているようん美、人のことばに一喜一憂することなく、神のしもべとして生きられ(コリント人への手紙第二6章8節)、「私にはやましいことは少しもありませんが、だからといって、それで無罪とされるのではありません。私をさばく方は主です。ですから、あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた事をも明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです(コリント人への手紙第一4章4節−5節)」と、キリスト者の罪や咎はすでに十字架で処理されているので称賛が届く、と十字架の恵みを語っています。人は気分次第でいろいろな事を言いますが、人のことばにおどらされないように、主に聞く、すなわち、みことばが何を言っているかを思い起こし、みことばで生活しようではありませんか。