主は生きておられる。ほむべきかな、わが岩。あがむべきかな。わが救いの岩なる神。(サムエル記 第二 22章47節)

1.ローマ人への手紙8章28節ー34節
2.コリント人への手紙第一1章18節ー25節
3.コリント人への手紙第一31節―13
4.ペテロの手紙 第一2章4節―11節

イエス様は「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。その日には、大勢の者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行ったではありせんか。』しかし、その時、わたしは彼らにこう宣言します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられているからです。」と、天の御国、すなわち天国に入るだけでなく、日常生活において主との関係がどんなに大切であるかを話さるとともに、「わたしのこられのことばを聞いて行わない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。」と仰せられました(マタイの福音書7章15節―27節)。砂とは、主がアブラハムに「わたしは大いにあなたを祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように数多く増し加えよう。(創世記22章17節)」と仰せられたように、人であり、人の考えやヒューマニズム(人本主義)の弱さを語っています。イエス様の「事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。(ヨハネの福音書6章40節)」と仰せられたことばに、父のみこころはまずイエス様を信じることであることがわかります。今日の聖句「主は生きておられる。ほむべきかな、わが岩。あがむべきかな。わが救いの岩なる神。」を心に据えて、人の知恵や力では解決できない罪や死に勝利され永遠に生きておられる主を、どんなことも益としてくださる主をほめたたえて生活しようではありませんか。