神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかりに与えることのできる方です。(コリント人への手紙 第二9章8節)

1.イザヤ書441節―5
2.ローマ人への手紙8章28節―32
3.テサロニケへの手紙 第二216節―17
4.ペテロの手紙 第一5章7節−10節

イエス様は「あなたがたは世界の光です。(マタイの福音書5章14節)」と仰せられましたが、その秘訣をパウロは「すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行いなさい。それは、あなたがたが、非難されるとこのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。(ピリピ人への手紙2章14節―16節)」と語っています。ところで、激しい欲望にかられたイスラエルの民に混じってきていた者と一緒になってイスラエルの民は「ああ、肉が食べたい。エジプトで、ただで魚を食べていたことを思い出す。きゅうりも、すいか、にら、たまねぎ、にんにくも。だが今や、私たちののどは干からびてしまった、何もなくて、このマナを見るだけだ。」と、主に「肉が食べたいのです。」と求めることをせずに、エジプトでどんなに苦しんだかを忘れて、つぶやいたので、主は、鼻から出て来て、吐き気を催すほど1ヶ月間も肉を与えられたのですが、欲望にかられた民は疫病にかかって亡くなりましたし(民数記11章4節―34節)、ヨシュアとカレブ以外の神の約束された地を探って来た者たちは、その地について悪く言いふらしたために民は恐れてつぶやいたのでした(民数記13章32節―14章4節)。ですから、つぶやきや懐疑心が起きる要因は、多くの奇蹟を体験して神の力が、神がどんな偉大な方であるかを見たにもかかわらず、神と神の恵みを忘れ、欲や恐れによるものであることをイスラエルの歴史に見ることができます。今日の聖句「神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかりに与えることのできる方です。」を心に据えて、神が私たちにどれほどのことをしてくださったかを忘れずに、必要なものであれば主が与えてくださるという信仰をもって主が喜ばれるように生きようではありませんか。