どうか、忍耐と励ましの神が、あなたがたを、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを持つようにしてくださいますように。それは、あなたがたが、心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父なる神をほめたたえるためです。(ローマ人への手紙15章5節―6節)

1.使徒の働き236節―47
2.使徒の働き31節―9
3.コリント人への手紙 第二 1章3節ー5節
4.エペソ人への手紙1章5節―14節

イエス様は十二弟子たちを呼び寄せて、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやすために汚れた霊どもを制する権威を与えらて「天の御国が近づいた。」と宣べ伝えるようにイスラエルの民のところに遣わされましたが、福音書における彼らは、この世の人々と同じようにだれが一番偉いかなどと議論するようなことをしていたように、心は一つとなっていませんでしたが、五殉節の日に聖霊が下ったことによって彼らはだれが一番偉いかなどと議論するようなことがなくなっただけでなく、ペテロが他の十一人とともに立って福音を語ったことによって三千人が救われただけでなく、彼らは弟子たちとともに毎日心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美したのでした。パウロが「謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。からだは一つ、御霊は一つです。あなたがたが召されたとき、召のもたらした望みが一つであったのと同じです(エペソ人への手紙4章2節―4節)」と「聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです(エペソ人への手紙1章14節)」と、語っているように、また三千人が弟子たちと心を一つにすることができたのも賜物として聖霊を受けたからであることから、心一つになることができ、主に栄光を帰すことができるのは聖霊によるものであるこがわかります。今日の聖句「どうか、忍耐と励ましの神が、あなたがたを、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを持つようにしてくださいますように。それは、あなたがたが、心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父なる神をほめたたえるためです。」を心に据えて、人と自分を比較するようなことをせずに、イエス様をはずかしめないように、聖霊を悲しませないように、私たちが救われるためにどれほどの犠牲が払われたかを考え、主の宮である教会において「私はパウロにつく」「私はアポロに」などと言い張ったコリントの教会のようではなく(コリント人への手紙 第一3章4節)、使徒たちと三千人のように心を一つにして主をほめたたえようではありませんか。