そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。それは、私たちが敬虔に、また威厳をもって、平安で静かな一生をすごすためです。そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。(テモテへの手紙 第一 2章1節―3節)

1.ヨブ記42章7節ー9節
2.詩篇10619節―31
3.ローマ人への手紙122
4.ペテロの手紙 第一2 4節―9

イエス様は「『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』と言われたのを、あなたがたは聞いていいます。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人も正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。自分を愛している人を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。取税人でも、同じことをしているではありませんか。また、自分の兄弟だけにあいさつしたからといって、どれだけまさったこいとをしたのでしょう。異邦人でも同じことをするではありませんか。(マタイの福音書5章43節―47節)」と、神の民は、異邦人、すなわち神の民でない人と同じような生き方をしないように、神がどのような方であり、どのようなことをされたかを心に据えて神を模範として生活するように仰せられましたが、十字架にかけられ苦しみながらも「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。(ルカの福音書23章34節)」と人々のためにとりなされ、イエス様ご自身がはっきりと模範を示されただけでなく(ペテロの手紙 第一2章20節―21節)、今も天においてとりなしておられるのです。パリサイ人として生活していた時のパウロは神の愛を知らずにキリスト者を迫害していましたが、キリスト者となったパウロは、神が喜ばれることが何であるかを知り、「そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。それは、私たちが敬虔に、また威厳をもって、平安で静かな一生をすごすためです。そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。」と勧めています。キリスト者には聖霊によって神の愛が注がれていることを(ローマ人への手紙5章5節)、祭司の役目が与えられていることを(ペテロの手紙第一2章9節)、イエス様がとりなしていてくだることを忘れずに(ローマ人への手紙8章34節)、主が喜ばれるように人々の救いのために祈ろうではありませんか。