何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対するあなたがたの確信です。(ヨハネの手紙 第一 5章14節)

1.マタイの福音書543節―48
2.テモテへの手紙 第一2章1節−5節
3.ピリピ人への手紙2章13節
4.ヤコブの手紙1章1章5節―8節

神がソロモンに「あなたに何を与えようか。願え。」と仰せられると、ソロモンは「善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょう。」と答えたのですが、その願い事は主に御心にかなったので主は知恵の心と判断する心を与えられただけでなく、彼が願わなかった富や誉も与えられることを約束されたのですが、ソロモンが神のみこころにかなった願いをすることができた秘訣は神である主を愛していたことになるのではないでしょうか(列王記 第一 3章3節―13節)。興味深いことに、エルサレムの城壁がくずされ、その門が日で焼き払われ、捕囚からのがれて生き残った人々が非常に困難な中にあることを聞いたネヘミヤはアルタシャスタ王にエルサレムの城壁再建をしたいという願いを申し上げる前にキスレウの月(太陽暦:10月―11月)からニサンの月(太陽暦:3月―4月)までの間祈り供え、アルタシャスタ王から「では、あなたは何を願うのか。」と尋ねられると、待ってましたとばかり、即答するのではなく天の神に祈ってから彼の願いを申し上げると、王は彼が願ったものだけでなく、彼が願わなかった将校たちと騎兵をネヘミヤにつけたのでした。それはエルサレムまでの旅が守られるためではなかったでしょうか。イエス様は私たちの父である神は、私たちがお願いする前にすでに私たちに何が必要であるかを知っておられることを話されました(マタイの福音書6章8節)。ヤコブの手紙4章3節は「願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです。」と神は動機を見られることを語っています。今日の聖句は「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対するあなたがたの確信です。」と語っていますが、神のみこころにかなう願いは、神のみこころをご存知な聖霊様によって起こされる願いではないでしょうか(ピリピ人への手紙2章13節)。神は私たちには何が必要であるかをご存知であり、必要を満たしてくださる真実な方であることを心に据えるとともに、主が喜ばれる願いかどうかを吟味するなら、おのずと神のみこころにかなった願いになるだけでなく、私たちの気づかないようなものをも主は与えてくださるのではないでしょうか。