私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシャ人にも、信じる人々にとって、救いを得させる神の力です。なぜなら、福音には神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。(ローマ人への手紙1章16節―17節)

1.ローマ人への手紙319節―26
2.ガラテヤ人への手紙215節―21
3.ガラテヤ人への手紙38節―14
4.

一般的に罪人は刑に復している人々で、「うそ」は罪であるにも関わらず、その使い方によって「うそも方便」ということばに象徴されるように罪とは思わないような状況がありますし、人を創造した神の代わりに自分たちの考えで偉人や英雄、さまざまな動物の偶像を造り、それを拝むことが敬虔なこととしているので、人々は罪人という自覚を持たずに自分の義に生きているのではないでしょうか。パウロも律法による自分の義に生きていたときには神に対して熱心でしたが、神の義を知らずに、福音に耳を傾けずにキリスト者を迫害していましたが、キリスト者となったパウロは「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、値なしに義と認められるのです。(ローマ人への手紙3章23節―24節)」と、神に義と認められるためにはイエス様を信じる信仰が必要であることを、その信仰も「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。(ローマ人への手紙10章17節)」とイエス様がどのような方であるかを知ることによることを語りました。今日の聖句「私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシャ人にも、信じる人々にとって、救いを得させる神の力です。なぜなら、福音には神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。『義人は信仰によって生きる』と書いてあるとおりです。」を心に留め、福音宣教の働きが祝されるように祈ると共に、「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ人への手紙8章28節)」と告白しているパウロ と同じように、「召された人々」すなわち、義人とされているすべてのキリスト者のためにはすべてのことを働かせて益としてくださる神を信頼し、ペテロのために祈られたように、私たちの弱さをよくご存知で信仰がなくならないように祈っていてくださる信仰の創始者であり完成者であるイエス様がどのような方であるかを忘れずに、主をほめたたえて生活しようではありませんか。