私たちをあなたがたといっしょにキリストのうちに堅く保ち、私たちに油を注がれた方は神です。神はまた、確認の印を私たちに押し、保証として、御霊を私たちの心に与えてくださいました。(コリント人への手紙 第二1章21節―22節)

1.コリント人への手紙 第一14節―8
2.エペソ人への手紙13節―14
3.ペテロの手紙 第一58節―10
4.ヨハネの手紙 第一 218節―27

この世の宗教が説く信仰のあり方は個々の努力にかかっていますが、聖霊に満たされたペテロが生まれつき足のなえた人がいやされたのは「このイエスの御名が、その御名を信じえう信仰のゆえに、あなたがたがいま見ており知っているこの人を強くしたのです。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの目の前で完全なからだにしたのです。(使徒の働き3章16節)」と言われたように、信仰はイエス様によって与えられ、イエス様によって保たれていることがわかります。その上、今日の聖句が「私たちをあなたがたといっしょにキリストのうちに堅く保ち、私たちに油を注がれた方は神です。神はまた、確認の印を私たちに押し、保証として、御霊を私たちの心に与えてくださいました。」と語っているように、キリスト者には、神と神のみこころを知ることができるように御霊が与えられているのです。世全体を支配している悪魔は光の御使いに変装して偽りをもってエバを欺いたように、いかにも真理を語っているかのように人々に語りかけ多くの異端をもたらしていますが、ヨハネの手紙第一2章27節は「あなたがたの場合は、キリストから受けたそそぎの油があなたがたのうちにとどまっています。それで、だれからも教えを受ける必要がありません。彼の油がすべてのことについてあなたがたを教えるようにーその教えは真理であって偽りではありませんーまた、その油があなたがたに教えたとおりに、あなたがたはキリストのうちにとどまるのです。」と、油の働きについて語っています。その教えが神からのものなのかどうか不安に思うようなとき、油が警告しているのではないでしょうか。その教えが信仰の創始者であり完成者であるイエス様から目を離させようとしているのか、キリストに生きるように示しているのかどうかを吟味し異端の教えに巻き込まれないようにし、私たちをどんなときにも背負っていてくださり(イザヤ書46章3節―4節)、キリストのうちに堅く保ってくださる神を誉めたたえようではありませんか。