誇る者は、主を誇りなさい。(コリント人への手紙 第二 10章17節)

1.エレミヤ書923節―24
2.コリント人への手紙 第一 118節―31
3.コリント人への手紙 第一318節―22
4.ガラテヤ人への手紙6章3節―5節

人はとかく自分の力、学歴、血筋、家柄、功績、財、富、容貌などを誇ってしまうのではないでしょうか。しかし、モーセはイスラエルの民に「あなたがたが食べて満ち足り、りっぱな家を建てて住み、あなたの牛や羊の群れがふえ、金銀が増し、あなたの所有物がみな増し加わり、あなたの心は高ぶり、あなたの神、主を忘れる、そういうことがないように。主は、あなたをエジプトの地、奴隷の家から連れ出し、燃える蛇やさそりのいるあの大きな恐ろしい荒野、水のない、かわききった地を通らせ、堅い岩から、あなたのために水を流れ出させ、あなたの先祖たちの知らなかったマナを、荒野であなたに食べさせられた。それは、あなたを苦しめ、あなたを試み、ついには、あなたをしあわせにするためであったーあなたは心のうちで、『この私の力、私の手の力が、この富を築き上げたのだ』と言わないようにしなさい。あなたの神を、主を心に据えなさい。主があなたい富を築き上げる力を与えられたのは、あなたの先祖たちに誓った契約を今日のとおりに果たされるためである。(申命記8章12節―18節)」と警告しています。東の人の中で一番の富豪であったヨブが妻以外のこどもたちをはじめすべてのものを失ったとき「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。(ヨブ記1章21節)」と、パウロも「私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また、何一つ持って出ることもできません。(テモテへの手紙 第一6章7節)」と語っているように、この世を去るときにはこの世のものや人が誇りとするようなものは何一つ携えて行くことができないどころか、ガラテヤ人への手紙6章3節が「だれでも、りっぱでもない自分を何かりっぱでもあるかのように思うなら、自分を欺いているのです。」と語っているように、自分を誇ることは愚かなように思います。サタンは神によって創造された被造物でありながら「いと高き方のようになろう。(イザヤ書14章14節)」と自分を欺いき、エバをも「神のようになる」と欺いたのでした。今日の聖句が「誇る者は、主を誇りなさい。」と勧めているように、恵みとまことを実現し、神の裁きから解き放ってくださっただけでなく、永遠のいのちを与えてくださる主を誇ろうではありませんか。