幸いなことよ。主をおのれの神とする、その国は。神が、ご自身のものとしてお選びになった、その民は。(詩篇33篇12節)

1.出エジプトき33章12節ー16節
2.詩篇11節―6
3.詩篇46節―8
4.ヨハネの福音書1714節―23

この世にはさまざまな思想を背景に、人の手によって祭り上げられた多くの神々が存在しますが、エレミヤ書10章6節及び8節―11節は「主よ。あなたに並ぶ者はありません。あなたは大いなる方。あなたの御名は、力ある大いなるものです。・・彼らはみなまぬけ者で愚かなことをする。むなしい神々の戒めーそれは木にすぎない。銀箔はタルシシュから、金はウファズから運ばれる。偶像は木工と金細工人の手の作。その衣は青色と紫色、これらはみな、名匠の作。しかし、主はまことの神、生ける神、とこしえの王。その怒りに地は震え、その憤りに国々は耐えられない。あなたがたは、彼らにこう言え。『天と地を造られなかった神々は、地からも、これらの天の下からも滅びる。』」と、詩篇82篇1節は「神は神の会衆の中に立つ。神は神々の真ん中で、さばきを下す。」と語っています。興味深いことに有識者や国を治める権威と力をもっている政治家たちや教育者の多くの方々は何の疑いもなく偶像崇拝や先祖崇拝をしています。パウロは福音が語られても、イエス様を信じない人々の問題について「この世の神が不信者の思いを暗ませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。」と、語るとともに「『光が、やみの中から輝き出よ』と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。」と語っています(コリント人への手紙 第二 4章1節―6節)。すべての人は死後、キリストのさばきの座に現れて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為について報いを受けることになるだけでなく(コリント人への手紙 第二5章10節)、やがて「すべての口が『イエス・キリストは主である。』」と告白するときが来ます(ピリピ人への手紙2章10節−11節)。そのときキリスト者は主から各人に称賛が届きますが、偶像崇拝者や祖先崇拝者は恥じることになります。今日の聖句「幸いなことよ。主をおのれの神とする、その国は。神が、ご自身のものとしてお選びになった、その民は。」を心に留めて、日本が主をおのれの神とする国、すなわち天皇陛下(皇太子の時に、宗教について記者から問われたとき、公人としては神道ですが、個人的には無宗教です、と一度だけ話されたのをテレビ中継で見ました)、総理はじめ政財界、教育界、医学界のリーダーたちが神道から解放されキリスト者になられますように祈ろうではありませんか。