どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。(エペソ人への手紙3章16節)

1.ヨハネの福音書1612節―15
2.ローマ人への手紙719節―811
3.コリント人への手紙 第二46節―17
4.ガラテヤ人への手紙5章16節ー25節

パウロは「もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行っているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。そういうわけで、私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです。すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。ですから、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。(ローマ人への手紙7章20節―8章2節)」と心の葛藤を覚え、苦しみましたが、解決がキリスト・イエスにあることを、しかもそれは御霊の働きによるものであることを語るとともに、「肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できなのです。(ローマ人への手紙8章6節―7節)」と、神の律法を喜んでいる内なる人に戦いをいどむものは神の律法に服従できない肉の思いであることを語っています。みことばを喜び、みことばで生きるためには内なる人が強められる必要があるため、パウロは「どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。」と祈られたのではないでしょうか。イエス様は昇天される前、弟子たちに「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。(使徒の働き1章8節)」と仰せられました。聖霊の力に満たされた弟子たちは人を恐れず、大胆に福音を語る者に変えられたのですが、それは内なる人が強められたからではないでしょうか。弱さを覚えるとき、みことばを知っていてもそれに従えないような弱さを覚えるとき、情けないと思ったり、自分をさばいたりするよりも、私ちの弱さをよくご存じでとりなしていてくださるイエス様が聖霊なる神として内住してくださっていることを感謝するとともに、聖霊の力に満たされるように静まって祈ろうではありませんか。