イエスは手を弟子たちのほうに差し伸べて言われた「見なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです。天におられるわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」(マタイの福音書12章49節―50節)

1.マタイの福音書715節―29
2.エペソ人への手紙28節―22
3.ヘブル人への手紙210節―18
4.ヘブル人への手紙10章14節ー22節

イエス様はニコデモに「まことに、まことに、あなたに告げます。人は水と御霊によって生まれなければ、神の国入ることができません。肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。」と、仰せられました。今日の聖句「イエスは手を弟子たちのほうに差し伸べて言われた『見なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです。天におられるわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。』」は、イエス様が群衆に話しておられるときに、イエス様の母と兄弟たちが、何か話そうとして外に立っていたので、だれかが「ご覧なさい。あなたのお母さんと兄弟たちが、あなたに話そうとして外に立っています。」と言われた人に言われたことばです。パウロはキリスト者になる前、神に対して熱心でしたが、神のみこころを行ったのではなく、ナザレ人イエスの名に強硬に敵対すべきと考えてキリスト者を迫害していたのですが、主はパウロが聖霊に満たされるためにアナニヤをパウロのもとに遣わされたのでした。キリスト者になったパウロは「いったい、人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。同じように、神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。(コリント人への手紙 第一 2章11節)」と、神のみこころを行うためには神のみこころを知ることが必要ですが、それを可能にするのは 御霊の働きであることを語ったのでした。肉親関係には血のつながりがあります。すべてのキリスト者は十字架で流されたイエス様の血によって聖なる者とされているがゆえに神との血縁関係があるのです。なんとすべての、世界中のキリスト者は全能なる神から「兄弟、姉妹、母」と言われる存在です。ですから、不思議なことに初めてお会いしても、お互いにクリスチャンとわかると不思議な喜びと親しさを感じるのではないでしょうか。キリスト者はお互いに兄弟姉妹と呼びますが、たとえばの話ですが、天皇陛下のような雲の上のような存在の方から「兄弟」「姉妹」と言われたらどうでしょう。全能者であるイエス様が私たちを兄弟姉妹と言ってくださるのです。すごいことではないでしょうか。主を喜んで生きようではありませんか。