私たちをあなたがたといっしょにキリストのうちに堅く保ち、私たちに油をそそがれた方は神です。神はまた、確認の印を私たちに押し、保証として、御霊を私たちの心に与えてくださいました。(コリント人への手紙 第二 1章21節―22節)

1.ローマ人への手紙1625節―27
2.コリント人への手紙 第一 14節―9
3.ペテロの手紙 第一5章7節ー11節
4.ヨハネの手紙 第一2章18節ー27節

イスカリオテでないユダが「主よ。あなたは、私たちにご自分を現そうとしながら、世には現そうとなさらないのは、どういうわけですか。」と尋ねると、イエス様は「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人のところに来て、その人とともに住みます。」と仰せられてから助け主である聖霊については話されたのには、イエス様はギリシャ語のアガパオ、すなわち「神の愛でわたしを愛する人」と仰せられたのであり、神の愛は聖霊によって与えられるものであるからではないでしょうか(ローマ人への手紙5章5節)。イエス様は続けて「わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶ者はみな、もっと多くの実を結ぶために刈り込みをなさいます。あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです。わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。(ヨハネの福音書14章22節―15章4節)」と仰せられました。ヨハネの福音書1章11節には「この方はご自分の国に来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。」と、ニコデモやパリサイ人の中にもイエス様を信じた方がおりましたが、イエス様はダビデの子としてこの世に遣わされたのですが、律法学者やパリサイ人など同胞のユダヤ人たちの手によって十字架にかけられたのでした。ヨハネは異端について語ってから「あなたがたの場合は、キリストから受けた油があなたがたのうちにとどまっています。それで、だれからも教えを受ける必要がありません。彼の油がすべてのことについてあなたがを教えるように、―その教えは真理であって偽りではありませんーまた、その油があなたがたの教えたとおりに、あなたがたはキリストのうちにとどまるのです。(ヨハネの手紙第一2章27節が)」と、キリストにとどまることも聖霊の働きであることを語っています。今日の聖句「私たちをあなたがたといっしょにキリストのうちに堅く保ち、私たちに油をそそがれた方は神です。神はまた、確認の印を私たちに押し、保証として、御霊を私たちの心に与えてくださいました。」を心に据えて、試練で苦しむようなことがあっても私たちを堅く立たせ、強くし、不動の者としてくだるあらゆる恵みに満ちた神が聖霊なる神として私たちの心に内住していてくださっていることを感謝し主をほめたたえて生活しようではありませんか(ペテロの手紙 第一5章10節)。