私の救いと、私の栄光は、神にかかっている。私の力の岩と避け所は、神のうちにある。(詩篇62篇7節)

1.ヨハネの福音書15章4節―5節
2.ヨハネの福音書1716節―22
3.使徒の働き4章1節ー12節
4.コリント人への手紙第一1章18節−25節

神はイスラエルの民をよくご存知で「民が戦いを見て、心が変わり、エジプトに引き返すといけない。」と仰せられて近道であるペリシテ人の国の道には導かれず、葦の海に沿う荒野の道に回らせ、主は民を導くために昼は雲の柱の中に、夜は彼らを照らすために火の柱の中におられて民の前を進まれたのですが(出エジプト記13章17節―22節)、イスラエルの民を去らせたことを悔いたパロはえり抜きの戦車六百とエジプトの全戦車を率いて補佐官とともに追跡したのでした。エジプト軍を見た民は主に向かって叫んだのですが、モーセにエジプトに仕えるほうがこの荒野で死ぬよりも良かった、などと文句を言ったので、モーセが「恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。」と言われると、主はモーセに「あなたは、あなたの杖を上げ、あなたの手を海の上に差し伸ばし、海を分けて、イスラエル人が海の真ん中のかわいた地を進み行くようにせよ。見よ。わたしはエジプト人の心をかたくなにする。彼らがそのあとから入って来ると、わたしはパロとその全軍勢、戦車と騎兵を通して、わたしの栄光を現そう。パロとその戦車と騎兵を通して、わたしが栄光を現すとき、エジプトはわたしが主であることを知るのだ。」と仰せられ、民が対岸に渡った後、主が「あなたの手を海の上に差し伸べ、水がエジプト人と、その戦車、その騎兵の上に返るようにせよ。」と仰せられたようにモーセが行うと、主はエジプト人を海の真ん中に投げ込まれたので、すべてのエジプト人は溺死したのでした。その様子を見たモーセと民は「主は私の力であり、ほめ歌である。主は私の救いとなられた。この方こそ、わが神。私はこの方をほえたたえる。私の父の神。この方をあがめる。」と主をほめたたえたのでした(出エジプト記14章6節-15章2節)。イスラエルの民と同じようににっちもさっちも行かないような状態に追い込まれた時、ご自分の民であるイスラエルの民といつもともにおられ、彼らを常に導き、苦悩する時に主に叫ぶと、必ず救いをもたらすだけでなく、栄光を現される主であることを思い起こし、今日の聖句が「私の救いと、私の栄光は、神にかかっている。私の力の岩と避け所は、神のうちにある。」と語っているように、すべては神にかかっていることを認め、自分に生きるのではなく、神の力、神の知恵であるキリストにある者として生活しようではありませんか。