目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい。(コロサイ人への手紙4章2節)

1.マタイの福音書77節―8
2.テサロニケへの手紙 第一5章17節ー18節
3.ヤコブの手紙5章13節―18節

ダビデが「さあ、神を恐れる者は、みな聞け。神が私のたましいになさったことを語ろう。私は、この口で神に呼ばわり、この舌であがめた。もしも私の心にいだく不義があるなら、主は聞き入れてくださらない。しかし、確かに、神は聞き入れ、私の祈りの声を心に留められた。ほむべきかな。神。神は、わたしの祈りを退けず、御恵みを私から取り去られなかった。(詩篇66篇16節―20節)」と語っているように、キリスト者は全生涯の罪や不義から贖われ神の子とされいるので神を「アバ、父」と呼ぶことができる立場にいるので、キリスト者の祈りを神はお聞きくださいます。しかも、ヤコブの手紙5章16節―17節は「義人の祈りは働きくと、大きな力があります。エリヤは、私たちと同じような人でしたが、雨がふらないように熱心に祈ると、三年六ヶ月の間、地に雨が降りませんでした。そして、再び祈ると、天は天を降らせ、地はその実を実らせました。」と、義人とされているキリスト者の祈りについて語っています。コロナウイルスの恐怖だけでなく、気象庁が「これまでにない大雨になっている」と大雨特別警報をだされたように大雨による被害が早朝報道されました。さまざまな災害によって人の知恵や力がいかに弱いものであるかを、人の欲がもたらした温暖化の影響の大きさを思い知らされているように思わされます。このような時、今日の聖句が「目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい。」と勧めているように、義人とされているすべてのキリスト者の祈りを主はお聞きくださることを感謝し、パウロが「すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。(テモテへの手紙 第一2章1節)」と勧めているように、人々が偶像崇拝から解放され、キリストを信じる信仰を受け入れ、救われますように祈ろうではありませんか。