私の福音に言うとおり、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。(テモテへの手紙 第二2章8節)

1.ローマ人への手紙832節―39
2.ピリピ人への手紙23節―11
3.ヘブル人への手紙413節―16
4.ヘブル人への手紙122節―4

パリサイ人として生きていた時には律法による自分の義に生き、自分の考えで物事を判断していたためにキリスト者を迫害していたのですが、ダマスコの途上でイエス様から声をかけられ、エス様が死からよみがえられたことを信じるキリスト者となり、律法による自分の義ではなく、イエス様を信じることによって神から与えられる神の義を知る者となり、同胞のユダヤ人から迫害され多くの苦しみを受けただけでなく、「パウロの手紙は重みがあって力強いが、実際に会った場合の彼は弱々しく、その話しぶりは、なっていない。(コリント人への手紙 第二10章10節)」と、同じキリスト者からも非難されるようなことがありましたが、どんな状況の中に置かれても堅く信仰に立って信仰生活を全うされた秘訣は、「私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、また、ケパに現れ、それから十二弟子に現れたことです。・・・最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現れてくださいました。私は使徒の中で最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかの使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。(コリント人への手紙 第一15章3節―5節及び8節―10節)」と語っているように、神の恵みを知り恵みに生きたことであり(コリント人への手紙 第二 6章1節―10節)、「私の福音に言うとおり、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。」と語っているように、恵みとまことに満ちておられるイエス様(ヨハネの福音書1章14節)のことをいつも思っていたからではないでしょうか。どんな状況にあっても、心が元気を失ったり、疲れ果てたりしないために(ヘブル人への手紙12章3節)、パウロが勧めているように私たちの全生涯の罪を負ってくださったイエス様のことを思い起こし、神の裁きや地獄から救われていること、キリスト・イエスにある神の愛の中に生かされている恵みを感謝して生きようではありませんか。