私をいやしてください。主よ。そうすれば私はいえましょう。私をお救いください。そうすれば私は救われます。あなたこそ、私の賛美だからです。(エレミヤ書17章14節)

1.創世記29章31節ー35節
2. 出エジプト記151節―2
3.申命記1012節―22  
4.イザヤ書12章2節―6節

ヤコブはラバンの二人の娘のうち、次女のラケル を愛していましたが、ヤコブは騙されてラバンの長女レアと結婚させられてしまったのでした。そのことをラバンに抗議すると、ラバンは「われわれのところでは、長女より先に下の娘をとつがせるようなことはしないのです。」と言い、ラケルと結婚したいならもう7年間ラバンに仕えるように要求したのでした。ヤコブはレアよりもラケル を愛していたのでラバンにさらに7年間仕えたのでした。主はレアが嫌われているのをご覧になって、レアの胎を開かれ、子を授けたのですが、四人目の息子が生まれるまで、神に感謝を捧げながらも心はヤコブの愛を求めていたのですが、四人目の息子が生まれた時「今度は主をほめたたえよう」と言って、ヤコブの愛を求めるよりも主ご自身に目も心も向けて、ユダと名付けたのでした。それゆえ、ユダは賛美の意味を持ちます(創世記29章20節ー35節)。今日の聖句は「私をいやしてください。主よ。そうすれば私はいえましょう。私をお救いください。そうすれば私は救われます。あなたこそ、私の賛美だからです。」と、いやしも救いも主にかかっているという信仰に生きる秘訣を「あなたこそ、私の賛美だからです。」という言葉に見ることができるのではないでしょうか。「感謝」は主の恵みや働きに目を留めることですが、「賛美」は主ご自身に目を留めることであり、賛美は歌うこと以上に日々主を仰ぎ見て生活することだからではないでしょうか。ヘブル人への手紙12章2節―3節が「信仰の創始者であり完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。」と、勧めているように、他者と自分を比較したり、今直面している問題の原因を求めて過去を振り返って後悔するような生活をするよりも、どんな状況下にあっても、状況に目を留めるのではなく、私たちを導いてくださり、すべてのことを働かせて益としてくださる(ローマ人への手紙8章28節)良き羊飼いであるイエス様を見上げ、主がいつも一緒にいてくださることを心に据え、主を信頼し、主をほめたたえて生きようではありませんか。