私は、主の恵みと、主の奇しいみわざをほめ歌おう。主が私たちに報いてくださったすべてのことについて、そのあわれみと、豊かな恵みによって報いてくださったイスラエルの家への豊かないつくしみについて。(イザヤ書63章7節)

1.詩篇231節―6
2.詩篇1031節―14
3.エペソ人への手紙1章3節ー14節
4.エペソ人への手紙21節―9

哀歌3章22節―24節が「私たちが滅び失せなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。『あなたの真実は力強い。主こそ、私の受ける分です。』と私のたましいは言う。それゆえ、私は主を待ち望む。主はいつくしみ深い。」と語っているように、神の民とされているイスラエルの民が主をないがしろにしても、主は彼らを見捨てることなく、70年にローマ軍によってエルサレムの神殿も破壊され、ユダヤ人は国を失い、各地に離散したにもかかわらず、驚くべきことに1948年5月14日にイスラエル国家が再建されたのでした。パウロはガマリエルのもとで研鑽を積み、律法には精通していましたが、キリスト者になる前は聖霊を持たず、神のみこころがわからず、キリリスト者を迫害していましたが、ダマスコへの途上でイエス様から声をかけられ、救いが恵みによって与えられることを知る者となり「私は使徒の中で最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかの使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。(コリント人への手紙 第一 15章9節―10節)」と、恵みに生き続ける者、主をほめたたえる者となったのでした。キリスト者はイスラエルの民同様神の民、神の家族とされていることを認識し、今日の聖句が「私は、主の恵みと、主の奇しいみわざをほめ歌おう。主が私たちに報いてくださったすべてのことについて、そのあわれみと、豊かな恵みによって報いてくださったイスラエルの家への豊かないつくしみについて。」と勧めているように、今も、罪に定められないようによりなしていてくださる主の恵みといつくしみに満ちている主を誉めたたえて生きようではありませんか。