義人の道は平です。あなたは義人の道筋を平にされます。(イザヤ書267節)

1.イザヤ書403節―8(ルカの福音書31 節―6)
2.イザヤ書4216節―17
3.ローマ人への手紙818節―28

神の知恵をもってエジプトをききんから救い、パロからエジプト全土を支配する権威を与えられたヨセフを知らないパロの時代になると(出エジプト記1章8節)、イスラエルの民は苦役を課せられ苦悩するような状況になってしまったのをご覧なった神はモーセに乳と蜜の流れる良い地にイスラエルの民をエジプトから導き出す使命を与えてエジプトに遣わし(出エジプト記3章7節ー10節)、多くの奇蹟をもって民を約束の地へと導かれたのですが、荒野において欲望にかられたイスラエルの民と混じって来ていた者たちと一緒に民も「ああ、肉が食べたい。エジプトで、ただで魚を食べていたことを思い出す。きゅうりも、すいか、にら、たまねぎ、にんにくも。だが今や、私たちののどは干からびてしまった。何もなくて、このマナを見るだけだ。」とエジプトでどれほど苦しんでいたかを、肉が食べたい、という願いを主に申し上げずに不平不満をもらしたのでした。ソロモンは「『どうして、昔のほうが今より良かったのか』と言ってはならない。このような問いは、知恵によるのではない。(伝道者の書7章10節)」と、語っているように、人はとかく現状に目を留めると「昔は良かった」と、言ってしまいがちになるのではないでしょうか。人はこの世を去るまで、どなたにでも山あり谷ありの人生をおくるわけですが、ヤコブの手紙5章13節は「あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい。」と、どんな状況にあっても主を忘れないように勧めています。今日の聖句は「義人の道は平です。あなたは義人の道筋を平にされます。」と、キリストにあって義人とされている者、すなわちキリスト者の日々の生活の中に主は働かれて山であっても谷であっても、平にしてくださる、すなわち歩きやすいようにしてくださるだけでなく、ローマ人への手紙8章28節が「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」と語っているように、どんな状況も益としてくださる主がいつもともにいてくださることを心に据えて、どんな時にも、どんな状況にあっても主を忘れずに生きようではありませんか。