あなたはあなたの神に立ち返り、誠実と公義とを守り、絶えずあなたの神を待ち望め。(ホセア書12章6節)

1.詩篇371節―7節
2.伝道者の書31節−11
3.ペテロの手紙 第二33節―9

イエス様は「あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。(ヨハネの福音書16章24節)」と仰せられましたが、ヤコブの手紙4章3節―4節は「願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです。貞操のない人たち。世を愛することは神に適することであることがわからないのですか。世の友となりたいと思ったら、その人は自分を神の敵としているのです。」と、世の人々と同じような動機で求めても与えられないことを語っています。一方、ヨハネの手紙 第一 5章14節―15節は「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願った事は、すでにかなえられたと知るのです。」と、語っています。ですから、テモテへの手紙 第一 2章4節が「神は、すべてにの人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。」と語っていますので、家族や友人が救われることを願って祈りますが、特に家族がなかなか救われないと、信仰の創始者であり完者であるイエス様から目を離して、目線を自分に向けて、「私の信仰が弱いのではないか」「証しにならないような生き方をしているのではないか」など、自分で自分をさばくようなことをしてしまうのではないでしょうか。そのような時、伝道者の書3章11節「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることがでいない。」を、今日の聖句「あなたはあなたの神に立ち返り、誠実と公義とを守り、絶えずあなたの神を待ち望め。」を思い起こし、救う方はイエス様であることを、時は神様がもっておられることを、誠実と公義を行う、すなわち、自分の考えや思いで行動するのではなく、主を信頼し、主に期待し、主を待ち望んで生きようではありませんか。