御名を知る者はあなたに拠り頼みます。主よ。あなたはあなたを尋ね求める者をお見捨てになりませんでした。(詩篇9篇10節)

1.ヨハネの福音書1619節―28
2.使徒の働き31節―16
3.使徒の働き45節―12

ペテロは生まれつき足のなえた方に「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって歩きなさい。」と言って彼の右手を取って立たせると、かれの足とくるぶしが強くなり神を賛美しながらペテロとヨハネと一緒に歩いているのを見た人々に、そのような奇蹟はイエスから与えられた御名を信じる信仰によるものであることを語ってから福音を、死者の復活について語ったために、捕らえられ「あなたがたは何の権威によって、また、だれの名によってこんなことをしたのか。」と、民の指導者たちや長老たち、大祭司たちから尋ねられたので、「私たちがきょう取り調べられているのが、病人に行った良いわざについてであり、その人が何によっていやされたか、ということのためであるなら、皆さんも、またイスラエルのすべての人々も、よく知ってください。この人が直って、あなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのです。『あなたがたが家を建てる者たちに捨てられた石が、礎の石となった』というのはこの方のことです。この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」と、実際、彼らは、いやされた方がペテロたちといっしょに立っているのを見ても、彼らは御名にどれほど威力があるのかを聞き、その威力を目にしながらもペテロの話を信じないどことか、「いっさいイエスの名によって語ったり教えたりしてはならない」とペテロとヨハネをおどしてから釈放したのでした。イエス様は「まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。(マタイの福音書18章18節)」と、主の御名によって祈る威力について語っています。私たちは祈る時、祈りの結果を自分で想定して祈ってしまうことがあるのではないでしょうか。祈っても自分が思っているような結果がでなくても、結果をもたらす方は主であることを、主の時があることを留意し、今日の聖句が「御名を知る者はあなたに拠り頼みます。主よ。あなたはあなたを尋ね求める者をお見捨てになりませんでした。」と語っているように、自分よりも主を信頼し、主の御名によって祈る私たちを決してお見捨てにならないどころか、主の御名によって祈る特権が与えられていることを感謝し、毎日報道されているコロナウイルスにおびえている人々の救いのために、福音宣教の働きを主が祝福してくださるように祈ろうではありませんか。