人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。したがって、権威に逆らっている人は、神の定めにそむいているのです。そむいた人は自分の身にさばきを招きます。(ローマ人への手紙13章1節―2節)

1.イザヤ書451節―7
2.マタイの福音書1028節―31
3.ペテロの手紙 第一 213節―25

昨日、安倍総理が官邸で開いた新型コロナウイルスの対策本部会合で、今後二週間以内に多くの人が集まるスポーツ、文化イベントの開催について大規模な感染リスクがあることを勘案し、「中止、延期、規模縮小の対応を要請する」と、自粛を求める考えを示されました。そのため、さまざまな公演が中止されたことが報道されました。先日、私が担当させていただいているWOAG集会の会場となってい教会、今週と来週の教会の牧師先生方から、お電話があり、私が新幹線や飛行機を利用するために不特定多数の人との接触があることなどを心配され、集会をどうすべきか、という相談を受けました。結論として、症状がなくてもかかっている可能性がある人と接触する可能性を考慮して、今週と来週の集会は中止することにしました。信仰がないかのように思われるかもしれませんが、決定した後で、今日のみことば「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。したがって、権威に逆らっている人は、神の定めにそむいているのです。そむいた人は自分の身にさばきを招きます。」をいただきました。誤解していただきたくないmのですが、「礼拝に行かないように」と勧めているのではありません。私自身礼拝には伺いますので。ところで、三人のユダヤ人がネブカネデザルが造った金の像を拝まなかったために、火の燃える炉の中に投げ込まれましたが、主は御使を遣わして彼らを守られたので、ネブカネデザルはイスラエルの神を認めることになりましたし(ダニエル書3章10節―29節)いっさいイエスの名によって語ったり教えたりしてはならない、と命じられたペテロが「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください(使徒の働き4章18節―19節)」と、言われたように上の命令に従わないという状況があることをみことばは語っていますが、見落としてならないのは、権威者に対して抵抗する場合、霊的なことに関して、福音宣教に関しての場合であることを考慮する必要があります。パウロは「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。(ローマ人への手紙12章2節)」と、「世と調子を合わせない」ということは、世の価値観や生き方、すなわち欲やプライドに支配されないようにすることではないでしょうか。コロナウイルスの場合、他者のことを考慮すること、「信仰」を「無謀」にすり替えないように、バランスを持った行動をする必要があるように思わされました。今は「祈りの時」であることを思います。恐れの中におられる方々に福音が届くように、主がこの疫病を止めて下さるように祈ろうではありませんか。