確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます。(コリント人への手紙 第二 5章7節)

1.エペソ人への手紙114節―19
2.コリント人への手紙 第二 48節―18
3.ヘブル人への手紙111節―8

ヨハネの福音書1章18節が「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとりの神が、神を説き明かされたのである。」と目に見えない神を見ることができるように神は御子イエス様をお遣わしになったのですが、イエス様は人としてマリアの胎に宿ってご降誕されたので、さまざまな宗教の教祖と同じように思われているのではないでしょうか。イエス様が弟子たちに「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはあえりません。あなたがたは、もしわたしを知っていななら、父をも知っており、また、すでに父を見たのです。」と話されると、ピリポが「主よ。私たちに父を見せてください。そうすれば満足します。」とイエス様に申し上げたので、「ピリポ。こんなに長い間あなたがたといっしょにいるのに、あなたはわたしを知らなかったのですか。わたしを見た者は、父を見たのです。どうしてあなたは、『私たちに父を見せてください』と言うのですか。わたしが父におり、父がわたしにおられることを、あなたは信じないのですか。わたしがあなたがたに言うことばは、わたし自身から話しているのではありません。わたしのうちにおられる父が、ご自分のわざをしておられるのです。わたしが父におり、父がわたしにおられるとわたしが言うのを信じなさい。さもなければ、わざによって信じなさい。・・・」と仰せられましたが、主は、死からよみがえられた後、昇天されたので肉眼で主を見ることはできませんが、今日の聖句が「確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます。」と語っているように、みことばによって目に見えない神を心の目で見る信仰生活が与えられていること、主が約束されたようにやがて主とともに永遠に生きることができる永遠のいのちが与えらていること、主と同じように栄光の姿に変えられる幸いを感謝して生きようではありませんか。