人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。(マタイの福音書1626節)

1.詩篇495節―15
2.ヨハネの福音書1010節―11
3.ヨハネの手紙 第一 55節―13

韓国の「新天地」というキリスト教の異端の教会の礼拝に集っている人々の間に感染者が出ているということや報道されるなど、さまざまな催し物を中止しなくてはならない状況にあることなど、毎日、コロナウイルスによってどれほどの人が感染しているか、亡くなっている人の人数など、各国の情報が報道されるたびに、ウイルスは目に見えないので病や死に対する人々の不安や恐れが増大しているのではないでしょうか。人は通常「いのち」を「肉体のいのち」しか考えませんが、聖書は人は永遠の神に似た者として創造されたので、人は死後も生き続ける永遠性を持っていることを語っています。ところで、詩篇49篇7節―9節は「人は自分の兄弟をも買い戻すことはできない。自分の身代金を神に払うことはできない。―たましいの贖いしろは、高価であり、永久にあきらめなくてはならないー人はとこしえまでも生きながらえるであろうか。墓を見ないであろうか。」と、今日の聖句は「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。」と、単なるいのちではなく、「まことのいのち」と語るとともに、買い戻すことができる可能性があるにもかかわらず、人にはできないことを、絶望的な状況を語っていますが、イエス様は「わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。(ヨハネの福音書10章10節―11節)」と、仰せられたように、神は永遠の死から救うために御子イエス様を人としてお遣わしになり、十字架の死をもって買い戻しのわざを実行されたのでした。ですから、ヨハネは「御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。私が神の御子を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。(ヨハネの手紙 第一 5章12節―13節)」と、キリスト者が自覚して生きるべきことを語っています。恐れの中におられる人々に福音が届くように、教会やキリスト者を主が強めてくださり福音宣教の働きが推し進められるように祈ろうではありませんか。