主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。(詩篇23篇1節)

1.詩篇348節―10
2.ヨハネの福音書1011節―16
3.テモテへの手紙 第二 61節―11

イエス様は人々に「どんな貪欲にも注意してよく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。(ルカの福音書12章15節)」と仰せられましたが、世の人々は「欲がないから勉強しない」とか「欲がないから・・・・」と「欲」が成功への道のように考えてしまう傾向があるのではないでしょうか。しかし、ヤコブの手紙4章1節は「何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょう。あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか。」と、競争や争いの原因が欲望にあることを語っています。パウロは「世と調子を合わせてはいけません。(ローマ人への手紙12章2節)」と、勧告しています。なぜなら、ヨハネが「世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。(ヨハネの手紙 第一 2章15節―16節)」と、語っているように、この世は欲と自慢するようなプライドによって構成されているからではないでしょうか。ソロモンは「日の下」すなわち神を考慮しないこの世を見て「目は見て飽きることもなく、耳は聞いて満ち足りることもない。(伝道者の書1章8節)」と断言していますが、パウロは「満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。(テモテへの手紙 第一 6章6節)」と語っています。その秘訣は今日の聖句が「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。」と語っているように主がどのような方であるかを知ることにあるのではないでしょうか。イエス様は「わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。(ヨハネの福音書10章11節)」と仰せられました。ローマ人への手紙8章32節「私たちのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。」を心に据えて、人類にとっていちばん必要な罪の赦しと永遠のいのちを主は与えてくださっていることを感謝し、「主は私の羊飼い」と個人的なつながりを大切にして生きようではありませんか。