わたしは近くにいれば、神なのか。―主の御告げー遠くにいれば、神ではないのか。人が隠れた所に身を隠したら、わたしは彼を見ることができないのか。―主の御告げー天にも地にも、わたしは満ちているではないか。―主の御告げー(エレミヤ書23章23節―24節)

1.詩篇1391節―12
2.コリント人への手紙 第一 44節―5
3.コリント人への手紙 第二 13節―4

創世記1章26節「神は仰せられた。『さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて、彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。』」に、「神」「われわれ」とありますが、創世記1章1節―2節は「初めに、神が天と地を創造した。地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。」と、「神の霊」すなわち聖霊について語っていますし、「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。・・ことばは人となって私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。・・・恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。(ヨハネの福音書1章1節―3節及び14節、16節)」と、パウロの「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように。(コリント人への手紙 第二 13章13節)」という祈りに、神は三位一体の神であることがわかります。神は罪人を救うために御子イエス様を人としてこの世にお遣わしになり、イエス様は昇天されてから聖霊をお送りくださいました。ですから、今日の聖句は「わたしは近くにいれば、神なのか。―主の御告げー遠くにいれば、神ではないのか。人が隠れた所に身を隠したら、わたしは彼を見ることができないのか。―主の御告げー天にも地にも、わたしは満ちているではないか。―主の御告げー」と語っています。主は天から見ておられる、聞いておられるだけでなく、聖霊はキリスト者の心に内住してられるので、ダビデが「ことばが私の舌にのぼる前に、なんと主よ、あなたはそれをことごとく知っておられる(詩篇139篇4節)」と語っているように、私たちの思いもご存知であることを、どのような苦しみのときにも私たちを慰めてくださる神であることを心に留め、心のうちを正直に主に申し上げて祈ろうではありませんか。