ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。(ローマ人への手紙11章33節)

1.サムエル記166節ー13
2.イザヤ書556節―13
3.コリント人への 第一 1章18節―31
4.テモテへの手紙 第一 1章13節―17節

聖霊がまだ下っていなかったので、旧約聖書の時代のように、しかもユダの代わりの使徒を選ぶように主から依頼されていなかったにも関わらず、ペテロは120名ほどの兄弟たちが集まっていたところで、ユダについて語るとともに、「実は詩篇には、こう書いてあるのです。『彼の住まいは荒れ果てよ、そこには住む者がいなくなれ』また『その職は、ほかの人に取らせよ。』ですから、主イエスが私たちといっしょに生活された間、すなわち、ヨハネのバプテスマから始まって、私たちを離れて天に上げられた日までの間、いつも私たちと行動をともにした者の中から、だれかひとりが、私たちのとともにイエスの復活の証人とならなければなりません。」と言ったので、彼らはバルサバと呼ばれ別名をユストというヨセフと、マッテヤとのふたりを立てた。そしてこう祈った。「すべての人の心を知っておられる主よ。この務めと使徒職の地位を継がせるために、このふたりのうちのどちらかをお選びになるか、お示しください。ユダは自分のところへ行くために脱落して行きましたから。」と祈ってから、くじを引くと、くじはマッテヤに当たったので、彼は十一人の使徒たちに加えられたのですが(使徒の働き1章15節―26節)、パウロが「使徒となったパウロー私が使徒となったのは、人間から出たことではなく、また人間の手を通したことでもなく、イエス・キリストを死者の中からよみがえらせた父なる神によったのです。―(ガラテヤ人への手紙1章1節)」と、語っているように、ナザレ人イエスの名に強硬に敵対すべきだと考え、多くの聖徒たちを牢に入れたり、聖徒たちが殺されるときには、それに賛成の票を投じてキリスト者を迫害していたにも関わらず、キリスト者となっただけでなく、使徒職が与えられ、ユダヤ人から迫害される者となったのでした。パウロ(サウロとも呼ばれていた)はキリスト者を迫害していたことで有名であったので、キリスト者となったパウロはエルサレムで弟子たちの仲間に入ろうと試みましたが、多くの弟子たちは彼を弟子と信じなかったのですが、バルナバは使徒たちのところに連れて行きパウロが体験したことを証したことによって、弟子たちとともにることができるようになったのでした(使徒の働き9章26節―28節)。今日の聖句「ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。」は、パウロの実体験を語っているのではないでしょうか。罪人には有罪判決が下されるのが当たり前ですが、神は罪人を救うために御子イエス様をこの世にお遣わしになり、罪や死からだけでなく、神の怒りからも解放してくださったのです。この世や人のことば、自分の思いや感情に支配されないように、人知では理解できないほどの恵みとまことに満ちておられ、罪人を救うためにご自身をささげられたイエス様を、私たちひとりひとりの信仰を完成させてくださるイエス様を仰ぎ見て生きようではありませんか。