あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。(詩篇 119篇105節)

1.サムエル記 第二 2226節―29
2.詩篇1825節―32
3.詩篇11822節―29
4.箴言623

ヨハネの福音書1章1節―5節は「初めに、ことばがあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」と、イエス様は光であることを、しかも光であるイエス様によってすべてが創造されただけでなく、神と人との関係がイエス様によって確立されることを語っているのではないでしょうか。創世記1章1節―3節は「初めに、神が天と地を創造した。地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。神は仰せられた。『光あれ。』すると光があった。」と神である主イエス様が「光あれ」と最初に発したことばによって「光」が存在し、光が存在してからすべての被造物は創造され、茫漠とやみの中にいのちが誕生したのでした。イエス様はイエス様の話していることがわからず、イエス様のことばに耳を傾けることができないユダヤ人に対して「あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときには、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら、彼は偽り者であり、また偽りの父であるかたです。しかし、このわたしは真理を話しているために、あなたがたはわたしを信じません。あなたがたのうちだれが、わたしに罪があると責める者がいますか。わたしが真理を話しているなら、なぜわたしを信じないのですか。神から出た者は、神のことばに聞き従います。ですから、あなたがたが聞き従わないのは、あなたがたが神から出た者でないからです。」と仰せられたように、世全体は悪魔の支配下にあるため(ヨハネの手紙 第一 5章19節)イザヤ書5章20節が「ああ。悪を善、善を悪と言っている者たち。彼らはやみを光、光をやみとし、苦味を甘み、甘みを苦味としている。」と語っているように何が真理かわからないような状況の中に人々は生きているのではないでしょうか。しかし、今日の聖句「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」は、「私の足のともしび」、すなわち日々みことばで一歩ずつ確かな歩みをすることを、「私の道の光」すなわち、道を迷うことなく、みことばによって歩いている道がどのようなものであるかをはっきり知ることができることを教えているのではないでしょうか。みことばの真理に、人の光であるキリスト属する者として生きようではありませんか。