主とその御力を尋ね求めよ。絶えず御顔を慕い求めよ。(詩篇105篇4節)

1.詩篇6318
2.イザヤ書402731
3.ピリピ人への手紙41213
4.ヘブル人への手紙12章2節―3節

イエス様は弟子たちに霊どもを追い出し、あらゆる病気を、あらゆるわずらいを癒やすために、汚れた霊どもを制する権威をお授けになり、「異邦人の道に行ってはいけません。サマリヤ人の町に入ってはいけません。イスラエルの家の失われた羊のところに行きなさい。行って、『天の御国が近づいた』と宣べ伝えなさい。病人をいやし、死人を生き返らせ、ツァラアトに冒された者をきよめ、悪霊を追い出しなさい。」と仰せられて遣わされたのですが、昇天される前は「次のように書いてあります。キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。あなたがたは、これらの証人です。さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。(ルカの福音書24章45節—49節)」と、「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。・・・・聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。(使徒の働き1章4節—5節及び8節)」と仰せられ、宣教範囲は大きく変化したのですが、その鍵は神の力である聖霊の働きにあったのです。キリスト者には聖霊が与えられていますが、この世に生きている限り、この世や人の知恵に惑わされて、弱さや恐れ、思い煩いに支配され不信仰に陥ったり、自分を見て情けないと思ってしまうことがあるのではないでしょうか。そのようなとき今日の聖句「主とその御力を尋ね求めよ。絶えず御顔を慕い求めよ。」が勧めているように、問題から目を離し、信仰の完成者であり、罪人の手によって十字架に架けられたイエス様に目を向け、神にご計画があることを、すべてのことを働かせて益としてくださるのが私たちに神である事を感謝し、主の御力である聖霊様の力が臨むように祈ろうではありませんか。